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トップページ > 健康運動指導 > 佐賀北高校第86回全国高校サッカー選手権大会 |
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この日から私は青野PT と二人、準備に追われる日々を送ることになりました。 サッカー部の県大会優勝の喜びも束の間、選手たちが休む間もなく全国大会への準備を開始していた、そんな11月下旬頃のこと始めて選手たちと対面しました。挨拶がきちんとできる元気な選手たちだという印象を強く感じたことを覚えています。これからどんなプレーをしてどんなストーリーを魅せてくれるのかと胸がワクワクしたものでした。 全国大会へ向け日々のトレーニングはもちろん、合宿なども数回実施されました。 |
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大分県ユースサッカー大会(11月23日〜11月25日) |
強化合宿として毎年行われているこの大会から、佐賀北高校サッカー部に帯同することになりました。この時までに数回学校へ行き、監督、部長、スタッフ、選手たちとコミュニケーションを図り、特に監督の基本方針、選手たちのコンディションを見ることに時間を費やしてきました。 合宿では試合が主に行われましたので、それぞれの選手の動きを見ることにしました。宿舎では一室をコンディショニングルームとして選手たちのケアをしました。
特別重傷な怪我もなく、試合結果は1勝2敗でしたが内容は悪くなく課題にしていたことはかなり見直すことができ、今後に期待できる内容でした。 |
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フィジカル合宿(12月4日) |
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さらにもう一人強力なスタッフがいます。 フィジカル担当の谷口トレーナーです。 私たちよりも経験豊富で、今回私たちの良きアドバイザー的存在でもありました。 全国大会へ向けフィジカル面の向上をねらい4日間の短期合宿が校内で実施され、この合宿に2日間参加させてもらい、選手たちのコンディションや個々の性格的なものもみるように心がけました。 |
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宮崎県綾町強化合宿(12月22日〜12月24日) |
全国大会直前に九州各県代表を中心にこの宮崎県に集まり、強化を図る目的で合同合宿が行われました。 この頃から、芝生でのトレーニングと試合が増えてきた影響もあるのか、足関節の痛みを訴える選手が多くなりました。以前の大分合宿の頃から問題の1つとして捉えてはいたので、足部のケアの準備をして臨んでいました。午前と午後、選手たちのコンディションをみることに追われ、なかなか改善しない選手もいて、本番までにどこまでいい状態にできるのかと不安を感じた合宿となりました。
3試合で得点なし、決定機はあったものの決めきれず得点力不足という不安材料が残りました。しかし、大分合宿からのテーマについては確かな手応えを感じた合宿となりました。きっと全国大会でもいいプレーを見せてくれると期待しました。 |
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全国大会帯同(12月28日〜) |
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12月28日いよいよ全国大会帯同初日を迎えました。その日は移動日で、今から佐賀空港を出発というとき早速問題発生。 学校から空港までの移動後、気分不良で嘔吐し何とか飛行機に乗り羽田まで行きましたが、到着後再度嘔吐さらに下痢。監督と話し合い空港からすぐに聖路加病院へ搬送となりました。 検査を受けたところ、急性腸炎と診断され安静ということになりました。(翌日には回復し練習参加) これから先どうなるものかと不安なスタートとなりました。 |
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開幕まで、東京都茅場町で準備を進めていきました。選手たちは、宿舎に入るとほぼ指示なしで生活を送ります。通常、何時から食事、何時消灯など細かい指示があると思いますが、宿舎到着直後、監督から「キャプテン、後はしっかりとやっとこう」の一言で解散。その後、キャプテンを中心に選手たちだけで話し合い、夕食の時間だけ決めそれぞれが行動に移ります。さらに驚いたことに、進学校ということもあり、夜遅くまで勉強している生徒が3年生だけではなく、1年生にも2年生にも多く見られるということです。サッカーだけではなく勉強もしっかりとできているのです。 | |||
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トレーニングは31日までFC東京深川グランドで、1日は千葉県へ移動し市原市にある市原スポレクパークで行われました。 FC東京のスタッフ香田さんと森田さんは偶然にも佐賀北高校サッカー部のOBということでした。大変すばらしい環境を用意していただいたおかげで、怪我もなく順調なトレーニングができました。 私たちの業務内容は選手たちのコンディショニングや体調管理、練習前のテーピング、ストレッチング、怪我した選手たちのケアなどでした。病院と違い環境や時間も限られていて、また選手や監督からの要求や期待も大きく、初戦が近づくにつれプレッシャーが増していきました。 生徒たちとは徐々に打ち解け、コミュニケーションがとれるようになっていき、佐賀北の選手や監督、スタッフの方々の強く熱い思いが伝わってきて、私たち自身も刺激を受け、もっと今以上に思いを込めてサポートしなければと思いました。 |
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試合に向けた最終ミーティングにて PRIDE
OF GREENを合い言葉に
監督をはじめスタッフ、選手たちみんながこの言葉を胸に一致団結しました。 いざ初戦へ! ![]() ![]() ![]() |
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2回戦 vs 愛知県代表中京大中京高校(市原臨海競技場) |
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1月2日14時10分キックオフ・・・ 初戦の相手は愛知県代表・中京大中京。 前評判では優勝候補である相手が断然有利。そのことがよりいっそう佐賀北高校の志気を高めていく結果となりました。 選手たちは初戦ということもあり緊張していましたが、試合への入り方も良く、動きもどんどん良くなっていきました。私たちは選手たちがいつも通りにプレイできているか、準備は万全かなど、不安でいっぱいでした。 |
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試合は後半、徐々に佐賀北高のペースになっていき後半33分に2年MF古川純平選手が右足で鋭く振り抜きゴール右隅へ待望の先制ゴール。ベンチや観客席、チーム全体が歓喜につつまれました。大分合宿からなかなか得点できなかったチームにとって勢いをつけるゴールとなりました。先制ゴール後、試合は佐賀北ペースで進み、1回戦を見事勝利で飾ることができました。 試合終了後、選手たちの喜ぶ顔や、横山さんと青野さんのおかげで力強いプレーができましたと言う言葉に強く励まされました。 その日のコンディショニングはとても忙しくフル稼動で対応しました。1試合終えると選手たちの疲労がこんなにも貯まってしまうのかと驚き、日頃からの身体のケアが大切であることをあらためて認識させられました。 |
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3回戦 vs 福岡代表東福岡高校(市原臨海競技場) |
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翌日の1月3日、2試合目を迎えました。 14時10分キックオフ・・・ 対戦相手は同じ九州勢である福岡県代表・東福岡高校。ここで勝てば佐賀北高校サッカー部の目標ベスト8進出が決まる大切な試合。開始直後前半7分思わぬ事態が発生。MF七田和謙選手が突如肉離れを起こし途中退場。チームの中心選手の負傷退場はチームにも動揺を与えました。その影響か流れは東福岡に傾いていきます。 あれだけ入念なストレッチやウォーミングアップを行っても予想しないアクシデントが起こる怖さを初めて目の当たりし、職場の同僚や先輩たちが教えてくれた【現場の怖さ】を経験しました。 |
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試合は前半を折り返し1対0。1点を追う状況で後半がスタートしました。その後東福岡は2点を追加。ところが誰もが諦めそうになったとき、驚いたことに選手たちがまだまだ行こうと攻める姿勢をくずさなかったのです。監督も攻撃の手を緩めず1点ずつ返しにいく姿勢を強く示しました。 そして後半35分1点を返しその後も反撃し続ける監督と選手たちには本当に感動を覚えました。 そのまま試合は終了、1対3で佐賀北の選手権が終わりました。 |
試合後、グランドにしゃがみこんで立ち上がれない選手たちの姿をみて思わず目頭が熱くなりました。 最後のロッカールームは、監督の選手たちに対する思いや、3年生たちの3年間のいろいろな苦悩や熱い思いが溢れ感動する場面となりました。様々な想いに包まれていて何か話すとすべてが崩れてしまいそうな雰囲気、そんな時間がしばらくながれ、最初に監督がいつも通りに明るく言葉をかけ、主将田中勝浩選手から3年生の最後の話が始まりました。悔しさ、悲しみ、そんな思いを噛みしめ、3年生がしっかりとした口調で話す姿は、どこか、一瞬にしてひとつ大人になった感じさえありました。しかも、すでに次のことを考えて、残る後輩に対して先輩として最後のエールを送っている姿もまた気丈ですばらしかったです。 |
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総括:青野(理学療法士) |
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佐賀北高サッカー部の帯同の話を横山トレーナーから聞いたのは11月下旬のことでした。サッカーの経験のない私にとってサッカーの帯同という話には一瞬戸惑いがありましたが、それ以上に全国大会に帯同できるという大きなチャンスに身震いがしたのを覚えています。
それからまもなく佐賀北高の選手たちや監督とお会いする機会があり、その時初めて佐賀北サッカー部を直に見ることができました。部員は40数名で冬の薄暗く寒いグランドで、白い息を吐きながら汗を流していました。選手たちはとても機敏で無駄がなく、挨拶にも勢いがあり、これが全国にいけるチームなんだなと感じました。 またフィジカル合宿とよばれる合宿に2日間だけ参加させていただきましたが、選手たちは放課後遅くまでチーム練習・自主トレーニングを行い、深夜遅くまで受験勉強をして、早朝の散歩・朝練習をこなし、課外授業へと出かけて行っていました。その姿を見て自分自身も負けていられないという気持ちと、帯同するにあたっての緊張感が徐々に高まっていきました。 12月28日いよいよ全国高校サッカー選手権帯同がはじまりました。選手たちとは早朝の散歩や練習前後のコンディショニング、ホテルでの共同生活を共に行うことで徐々に打ち解けていくことができました。またスタッフ間も夜のミーティングを通して情報や意見を交換し、チームとして統一した考えでサポートしていくことができました。帯同中サポートを行っていく中で、佐賀北の選手や監督・スタッフの方々の熱い思いがじりじりと伝わってきて、私自身、高校時代に部活動をやっていたころの熱い想いを思い出し、懐かしいあのころの気持ちが高まっていくのがわかりました。 試合中は自分の関わった選手たちがいつも通りに、いつも以上にプレイできているか、テーピングがしっかりと巻けているかなどとても心配でした。このような形でスポーツに関わることは初めてだったのでかなり不安な気持ちが大きかったのを覚えています。しかし試合終了後、選手たちの喜ぶ顔や、力強いプレイができましたと言う言葉に強く励まされました。試合は惜しくも2試合目で敗れてしまいましたが、選手たち、特に3年生たちの3年間の想いの詰まった溢れんばかりの涙は胸を打つものがありました。この経験は選手たちにとってかけがえのないものになるだろうし、私自身にとっても大きな価値のあるものになります。 今回7日間の帯同を終え、理学療法士として、また同じスポーツ人として今後の貴重な財産となる経験をさせていただきました。選手やチームをサポートする立場としての役割は十分とは言えませんでしたが、今後たくさんの経験や研鑽をかさね、満足の行くサポートができるようにしていきます。また今回の佐賀北サッカー部の選手たちや監督を始めとするスタッフの方々との出会いを大切にしていきたいと考えています。特に3年生のMF6前山亮選手と、MF3吉村茉夫選手はこれから自分と同じ理学療法士を目指し、それぞれ卒業後の大学・専門学校への進学が決まっています。今回自分が理学療法士として彼らの目にどう映っていたのか非常に気になるところですが、3年間一生懸命がんばった彼らなら熱く粘り強い理学療法士になってくれると期待しています。私自身も彼らに負けないように熱く粘り強く切磋琢磨していこうとあらためて気持ちが引き締まる思いです。他の3年生の選手たちも、各々進んでいく先での熱く粘り強い活躍を期待しています。 最後になりましたが、このような貴重な経験ができるチャンスを私に与えてくださった江本院長と湯朝副院長、佐賀北高サッカー部の選手たち、松尾監督・吉嶋先生をはじめとするスタッフの方々、大切なお子さんの身体を預けてくださった保護者の方々、気持ちよく東京へ送り出してくれたリハビリ田中部長や、サポートしていただいたリハビリ部の先輩方と同期の仲間たち、この帯同の話を直接持ちかけてくれ、帯同中も数多く指導をしていただいた横山トレーナーに心より感謝しています。 |
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総括:横山(健康運動指導士) |
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私も高校生の時、同じこの大会へ出場しました。実はその年生まれた子供たちが今の3年生たちだったのです。すごい運命を感じました。選手として経験した冬の選手権へ、スタッフとして再び行けるチャンスをいただいて本当に幸せでした。同時に緊張感、期待感のなかでの業務となり今後の私にとって貴重な経験となりました。 今でも初戦の試合開始早々地に足がつかず5分くらいは自分でも何をしているのか分からないくらい緊張していたのを覚えています。試合開始のホイッスルと同時に、これまで佐賀北高校サッカー部を全国大会前からサポートしてきましたが、それぞれの怪我、体調不良などに対して十分なケアができたのかなどの不安が一斉に頭の中を駆けめぐったのです。本当に恥ずかしいことです。 そして気持ちをしっかりと引き締めて臨んだ3回戦では、十分にケアしてきたはずの七田選手が突然肉離れを起こしました。周囲は怪我は仕方がないとことだと言われていましたが、コンディションを担当している私にとっては最悪の事態でした。仕方のないことではなく、今後このような怪我も起こさせないようなサポートをする必要があると、今強く感じているところです。 佐賀北高校サッカー部のホームページには、
ということがいわれています。 これらすべてのことを、監督はじめ関係スタッフや選手たちから強く確かに感じさせられた帯同期間となりました。対東福岡戦の試合終了のホイッスルが鳴る瞬間まで、そして、佐賀に帰りつくまでその姿勢は守られていました。いずれのことにも手を抜かず一生懸命取り組む姿勢は、今でもなお私の目に焼き付いています。 そんなすばらしい佐賀北高校サッカー部の皆さんと、短い期間でしたが共に過ごすことができたことを本当に嬉しく思うと同時に心から感謝したいと思います。今後の私にとって重要な経験となります。ありがとうございました。 この帯同を通して自分も少し成長できたのではないかと思いますが、私もまた引退する3年生や残る1、2年生の新チームと同じく次のステップへ進まなければなりません。知識と技術を身につけて今よりも質の高いサポートができるようになりたいと思います。だから私も次に向かって進みます。 これからも佐賀北高校サッカー部を微力ながらサポートしていきたいと思っております。 今回このような貴重な機会を与えてくださった松尾監督、吉嶋先生、選手の皆様、そして選手の保護者の皆様、本当にありがとうございました。そして快く送り出してくださった江本院長、湯朝副医院長、帯同期間中迷惑をかけました当院スタッフ、本当にありがとうございました。 最後に、佐賀北サッカー部の今後のさらなる活躍を期待しています。 選手たちが緊張と感動のなかで得たものは、これからの人生の糧となる貴重な財産です。 これからもその経験を生かして頑張れ!佐賀北高校サッカー部!! |
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引退する3年生へ・・・ |
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引退する3年生へ・・・
本当に3年間お疲れ様でした。 できれば今後もサッカーに何らかの形で携わっていってもらいたいと思います。 みんなの更なる成長を期待しています。 |
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